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Person-7
財徳健治
東京新聞運動部長

プロフィール:財徳健治(ざいとく・けんじ)
1948年広島県生まれ。慶應義塾大学文学部卒。広島・修道高校〜慶大でサッカー部に所属、MFとしてプレー。大学2年生時に全国大学選手権優勝を果たす。74年、産経新聞入社、サンケイスポーツ運動部配属。84年、東京新聞(中日新聞東京本社)へ。一貫してスポーツ取材に携わり、主にプロ野球、サッカーを担当。ワールドカップは90年イタリア大会から3度、オリンピックやアジア大会も取材。テレビ解説でも活躍。


第4回 「韓国」の原風景、そして2002年へ  2.9.SAT


 財徳さん自身のサッカー歴も興味深い。広島にある名門の修道中学1年のときからサッカーを始め、修道高校2年のときには広島高校選抜に選ばれた。大学は慶応大学に進学し、リーグ優勝はないものの、2年のとき大学選手権で優勝を果たした。ときには、杉山隆一、大仁邦彌、森孝慈など代表選手が数多く所属する三菱重工と練習試合もし、1回だけだが1−0で勝ったことがあるという。その唯一の点は財徳さんがあげたものだった。


■賀川浩さんの記事に憧れて

−− 財徳さん自身、日本代表を目指された時期があるわけですよね。

財徳 ない、ない。全然ないです。日本代表を書く仕事を目指したんです。

−− 大学時代から記者志望だったのですか。

財徳 そう。賀川浩(元サンケイスポーツ記者)さんに憧れてね。当時、早慶定期戦の後援がサンケイスポーツだったんです。そのプログラムを見ると賀川さんの記事がある。サッカー・マガジンにも賀川さんの記事が出ていてね。こうやってサッカーが書けたらいいなぁって思って、憧れていました。

−− それで、卒業して産経新聞に入社されたのですね。

財徳 そう。しかも産経新聞大阪本社で受験したんです。賀川さんが大阪にいらしたから。めでたく合格してサンケイスポーツに配属された。1974年入社のことです。入社したての私は、ワールドカップ・西ドイツ大会に取材に行っている賀川さんの原稿を、社内にいて電話で受けたんです。興奮しましたよ。それが、ワールドカップに生々しく接した初めての体験でしたね。

−− それからはサッカー記者として、キャリアを積まれたわけですね。

財徳 そうはいかなかった。プロ野球9割、サッカー1割。いや、1割もなかった。大事な試合だけは行っていたけど。日本リーグの優勝が決まるとき、日本代表の大事な試合、それと高校サッカー。あとは全部プロ野球だった。長い間ジャイアンツ担当記者として働いたから、プロ野球の記者としては第一線だったかもしれないけれど、サッカー記者としては「暗黒の時代」を10年近く過ごしたわけです。

−− それで東京新聞に移られたのですね。

財徳 それでもプロ野球の取材が多かったですね。完全にサッカーにシフトしたのはJリーグが設立されてからだから、92年からです。ずっと途切れずにサッカーは見てきてはいるけれど、暗黒の時代があったから、あまりえらそうなことは言えません。


■ソウル・チャムシル、日本人サポーターが2万人に思えた

−− 財徳さんが見た日本代表の試合のなかで、最も印象的な試合はどれですか。

財徳 97年のワールドカップアジア最終予選のソウルでの試合です。

−− 韓国はすでにワールドカップ行きを決めていて、日本はその時点でグループ3位でした。完全に後がない状況でしたね。結果は2−0で日本が勝った。すばらしい試合でした。

財徳 試合の内容もそうだけれど、スタジアム全体の雰囲気がすばらしかった。日本からあれだけのファンがかけつけたんだから。

−− 何人くらい行ったんでしょうか。

財徳 8000人と言われていましたが、私には2万人くらいに思えましたね。

−− 人数としては、ジョホールバルのほうがたくさん行ったんですよね。

財徳 もちろん、あの試合も印象深いですよ。あげていけばたくさんあります。アトランタ五輪出場を決めたサウジアラビア戦(クアラルンプール)もよかった。93年のワールドカップ最終予選のドーハでの北朝鮮との試合。サウジアラビアに引き分けて、イランに負けて、その時点で最下位だったときに、3点とって勝った。あの試合はよかった。でも、なにがいちばん印象的だったかと聞かれて、目を閉じて出てくるのは、97年11月1日のソウル・チャムシルスタジアムです。感慨深いものがあります。


■韓国には、肝心なところで、いつも負けていた

−− それは、どういう感慨ですか。

財徳 私が初めて韓国に行ったときには、石を投げられたんですよ。慶応大学のときに、韓国の延世大学と定期戦があってね。初めて遠征して試合をしたとき、ソウル市内の孝昌競技場というところで試合をしました。そこでピッチに出たとたん、子どもたちが私たちに向かって小石を投げた。日本人だからということでね。1970年のことです。それが、私の韓国、ソウルの原風景だったんですよ。

−− しかも韓国のチームはいつも強かったですよね。

財徳 そう。試合しても、しても、しても、勝てなかった。大学時代に韓国と行ったりきたりして、合計12〜13試合したと思うけれど、勝ったのはたった1回だけだった。頭のなかは「韓国=強い」ってことになっている。当時の日本代表だって、全然勝てなかったでしょ。肝心なところで、いつも負けていた。

−− そういうイメージを塗り替えた試合だったんですね。

財徳 そう。あのスタンドの風景を見たら、胸からこみあげてくるものがあった。あれはよかったですね。

−− それから2002年の日本と韓国の共同開催につながってくるんじゃないですか。

財徳 本当にそうです。30年前の原風景があって、97年のあのスタンドの風景があって、こんどのワールドカップがすぐそこにきている。本当に感慨深いですね。(つづく)