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フットボールの真実
 

    
 
      


第99回 難しい試合に、冴えるトルシエの手腕
シドニー五輪最終予選 日本3−1タイ



■決定的な働きをしたトルシエ監督

 「プレーをするのは選手。サッカーは監督の『ゲーム』ではない」
 私はそう考えています。サッカーという競技は、監督が「鉄人28号」の正太郎くんのようにコントローラーで自在に操って進めるものではありません。監督は試合の準備をし、次の対戦相手に対抗するプレーを訓練して、試合前には綿密に作戦を授けて選手たちをピッチに送り出します。しかしいったん試合が始まったら、プレーを進めるのは、選手ひとりひとりの判断にほかなりません。

 だから、「監督の采配」というものが勝負においてそれほど大きなウェートを占めているとは考えないのです。

 しかし10月17日に日本オリンピック代表がタイと対戦したときには、フィリップ・トルシエが決定的な働きをしたことを認めざるをえません。彼の準備、ゲームプラン、そして試合展開の読み、そして選手たちに対する周到な意識づけは、まさに完璧でした。

 カザフスタンに勝って、周囲はもうオリンピック予選は終わったようにさえ考えていました。タイは、カザフスタンを相手に必死に守って0−0の引き分けを手に入れましたが、力を見れば、今回の最終予選に進出したアジアの9カ国中、最も弱いと誰もが思っていました。前日までの報道では、「大量得点」などという言葉があちこちで語られていたのです。



■「どんな優れたチームでも85分まで点が取れないことがある」

 私自身、あの畑のようなアルマトイのグラウンドでは自分たちのプレーができずに苦戦したものの、東京の平らなピッチでは持ち前のパスワークが機能し、しっかりと勝ってくれると考えていました。しかしトルシエは、この試合にまったく別のアプローチをしていたのです。

 カザフスタンとの戦いぶりを見れば、タイの選手たちがフィジカル面で弱いわけではなく、逆にボール際の強さ、スピードなどの面で非常にすぐれていることがわかったはずです。とくに身体能力に優れ、伝統的なタイのスイーパーのニルット(8)を中心に組む5バックは、相手にスペースを与えず、崩すのはたやすくはないと思われました。

 加えて、日本にとっては今最終予選最初のホームゲーム。周囲の期待、そして超満員のスタジアムで、日本の選手にかなりのプレッシャーがかかることを、トルシエは非常に気にしていたようです。

 ここ数日、トルシエは選手たちにマンチェスター・ユナイテッドやフランス代表の話を繰り返し話したといいます。それは、どんなチームでも、85分まで点を取れないこともある。そして試合終了間際やロスタイムにようやく点がはいる試合もある。だから、仮にタイを相手になかなか点がはいらなくても、あせることはない。というような内容の話でした。

 前半開始早々に先取点を取ることができれば、問題はありません。しかしそれを期待し、それに従ってゲームプランを練るのはばかげています。
 トルシエの想定した最悪のパターンは、前半無得点に終わり、選手があせり、バランスを崩して後半カウンターから失点を食らうというものだったと思います。彼はそこから出発し、「仮に前半無得点でも、あせる必要はまったくない」というメッセージを、数日間発し続けていたのです。



■右サイドからの切り崩しが後半のポイントだった

 実際、前半は0点で終わりました。
 そしてトルシエは、彼の「シナリオ」の仕上げをするのです。

 第1に、彼はハーフタイムのロッカールームで、落ち着いた声で選手たちに「心配することはない」と繰り返しました。それは、数日間いわれ続けてきたことだったので、前半0−0で終わって内心「まずいな」と思っていた選手たちを十分落ち着かせたはずです。

 第2に、FWの福田に代えて平瀬を送り出します。
 タイは自陣に守備の壁を築いてくるに違いない。だからまず前半はフィジカル能力に優れ、アグレッシブな高原と福田で真っ向からファイトさせる。そして後半から広く動き回る平瀬を投入してスペースをつくり、切り崩しを狙う。それが、トルシエの「シナリオ」だったのです。

 それとともに、彼はいくつかの小さな指示をしたといいます。そのなかでも、稲本と遠藤の両守備的MFにもっと前に出るように指示したことが注目されます。

 前半、左サイドからは本山と中田が攻め上がり、何回かいい形でセンタリングを送りました。しかし右サイドの明神は相手の左サイドバック、タノンサク(2)にスペースを消され、また中央のMFからのサポートも消極的だったため、ほとんど崩しができない状態でした。わずかに終盤、稲本が明神の前のスペースに走り出てタノンサクを混乱させる場面がありましたが、チャンスをつくるまでには至りませんでした。

 この右サイドをなんとか攻め切らないと、左からの攻めも生きてきません。私は、そこが後半のポイントになるだろうと考えていました。

 後半が始まってすぐ、中盤の左で稲本がボールを受けると、右外のスペース、明神をマークするタノンサクと中央のDFの間を通って裏のスペースに走り出た遠藤に大きなパスを通します。それが、この試合で右サイドが破られた初めてのケースでした。そしてその瞬間、タイの守備陣は混乱に陥ったのです。

 続けざまに稲本が右に上がった遠藤にパスを送り、遠藤のセンタリングをタイDFはかろうじてCKに逃げます。そして遠藤の左CKから、平瀬の見事なニアポストヘッドが決まったのです。



■選手たちに十分な力を発揮させたのはトルシエの功績

 日本が1点を取れば、両チームのバランスは大幅に変わります。6分後には本山が左サイドで見事なドリブル突破を見せ、中央で平瀬が絶妙のポジショニングから左足ボレーシュート。2点目です。さらに4分後には、中村が自陣中央から50メートル近くの超ロングパスで平瀬を走らせ、持ち込んで中央に入れたところを高原がファイトをぶつけるように叩き込みます。

 その直後に本山の軽率なバックパスをジャトポン(11)に奪われて強烈なシュートを叩き込まれますが、大勢に影響はありませんでした。

 「シナリオどおり」とトルシエは得意満面でした。それは、97年9月26日、ワールドカップ・アジア最終予選で日本に逆転勝ちした車範根・韓国監督の記者会見を思い起こさせました。しかし今回のトルシエは、車範根のような「結果論」ではなく、完全に試合展開を読み切ったうえでの「シナリオどおり」でした。脱帽せざるをえません。

 プレーをするのはあくまで選手たちです。しかし選手たちに余計なプレッシャーをかけず、力を発揮させたのは、トルシエの大きな功績でした。



■9月7日のトップフォームから落ちてきている

 さて、この日の日本チームを見ていて少し気になったのが、トップフォームからだいぶ落ちてきている点でした。

 9月7日に国立競技場に韓国を迎えたときが、このチームの飛び抜けたピークでした。9月27日のソウル、10月9日のアルマトイでは、そのピーク時のイメージどおりのプレーはできないことは明らかでしたから、問題はありませんでしたが、このタイ戦では、ピーク時とのイメージのずれに選手たちがとまどっているように見えたのです。

 チームの状況には波があり、トップフォームが続くのは2週間ほどだといわれています。とはいっても、全員がいっせいに崩れるわけではなく、パスのリズムが微妙に狂ったり、互いに違うイメージをもってプレーしたりというようなことがあちこちで起こるのです。

 このタイとの試合は、そうした場面が何度もありました。それは、トルシエからいくら「前半は0−0でも心配するな」といわれても、選手たちも周囲の「楽勝」ムードに感染し、意外に簡単に攻め崩せるのではないかと内心思っていたからかもしれません。

 少しずつずれたリズムは、あの韓国戦の躍動感を失わせていたのです。

 幸いなことに、次のカザフスタン戦までには3週間の時間があります。その間にJリーグの試合もあります。次に集合するときには、またフレッシュな状態で集まることができるはずです。



■トップフォームを取り戻すために、選手に考えてほしいこと

 予選は、勝ち抜くことがすべてです。しかし同時に、厳しい戦いを通じて、1試合1試合成長の糧としていかなければなりません。
 アルマトイでは、「飽きずに戦い抜く」というたくましさが生まれました。東京でのタイ戦は、トルシエの絶妙な采配で乗り切りましたが、選手たちは韓国戦のようなプレーのリズムが出なかった原因をよく考えてみてほしいと思います。

 それは中田英寿がいなかったためではありません。
 チームがトップフォームから落ちてきているのです。
 そして、本当に強いチームの選手たちは、そうした状態を敏感に察し、そういうときにはことさらにプレーをシンプルにし、意識的に声をかけ合い、走る量を増やすなどの手を打って、フォームの崩れがチーム力に響かないように調整するのです。それが、ブラジル代表や、レアル・マドリッド、マンチェスター・ユナイテッドらの超一流チームなのです。

 タイとの試合からこういうことを学んだ選手が何人いるかで、この日本オリンピックチームの将来が決まってくるような気がします。



        



大住良之(おおすみ・よしゆき)
1951年、神奈川県生まれ。
中学生の時、66年ワールドカップ・イングランド大会の放送を見てサッカーの虜になる。74年一橋大学卒業後、ベースボールマガジン社入社、「サッカーマガジン」編集部勤務。78年より編集長を務める。
82年同社退職後、(株)アンサーでトヨタカップなどの来日チームの取材を手がけ、88年よりフリーランスのサッカージャーナリストとして活動。
74年西ドイツ大会以降5回のワールドカップをはじめ、各種の国際大会、世界各国の国内サッカーを取材。新聞・雑誌を中心に、サッカーとその背後にある文化・社会を描くことに定評がある。
「日本サッカーライターズ協議会」事務局長。
女子サッカーのクラブチーム「F.C.PAF」監督。
主な著書
「新・サッカーへの招待」(岩波書店)
「Jリーグ群像 夢の礎」(あすとろ出版)
「サッカーの話をしよう1・2・3」(NECクリエイティブ)
「浦和レッズの幸福」(アスペクト)
「FIFA98ワールドカップ観戦ガイド」(小学館)
「世界のサッカー」(共著、三一書房)